2014年10月5日日曜日

中国編-序(二)

二日目以降は、生活必需品を揃える旅と、事務手続きが続いた。携帯、インターネット、ビザ、居住登録等々・・・。
携帯ショップに行っても、インターネット会社に行っても、レストランでも、その道中でも、とりあえず「例の会話」が繰り広げられる。中国人っぽい人間が二人、英語で話しているのが珍しいのだろう。TAが言うに、「彼らは別に差別をしているわけではないのです。ただ、本当に、すごく珍しがっています。Western lookの他の先生なんて、写真撮られてましたよ」だそうだ。

これを書いている時点でこちらに来て1週間経つのだが、確かに外国人は多くない。今のところ、外国人の99パーセントはうちの大学の先生と思って良いくらいだ。インドでバックパッカーをしていた時も、外国人慣れしていない人々は旅人を見るだけで寄ってきたものだが、似たようなものか。
とすると、日本ではどうだろうか?・・・と文化差に思いをはせずにはいられない。あるいはそのような些細な文化差に、来たるべき日本の「グローバル化」に対するヒントが隠れているかもしれないのだ。

話を一週間前に戻そう。
2日目はTAに連れられて携帯・インターネットを契約した後、ベテランの先生の授業を見学しに行った。生徒数はおよそ20人程度。45分×4コマという長ぁい授業だった(ので最初の2コマだけ見て帰った)。
授業中、先生に面白い話を伺った。
まず、この教室の生徒は全校50,000を超える生徒から選ばれた数十人である、ということ。いわゆるエリート中のエリートで、"true genius"と言っていた。日本の大学では聞いたことも無かった、「エリート教育」。英語のレベルもかなり高度で、たどたどしいが英語による意思疎通は問題なく出来るレベルだった。彼らが、将来文字通り国を背負って立つ人間になるのだろう。
また、この日彼らは大変自発的かつ活発に発言していたが、それは最初の頃は想像も出来なかったということ。この日の授業は5人ずつで机をサークル状にしてグループディスカッションをしていたのだが、授業初日はきちんと列に並べられた席に座り、発言は挙手をし、トイレにいくのも先生の許可を取るのが当たり前だったという。中国でエリート街道を歩んできた子どもたちだから、当然だろう。"You'll face that, too"と言われてしまった。活発なインプット/アウトプット無くして外国語の習得は不可能だから、「言われたことを素直に聞いて実行する」という環境をどう「壊す」か、これは日本で英語を教えていたときからいつも考えている事だ。

授業の終盤には先生の計らいで、生徒から質問を受け付ける。"Where're you from?"という何気ない質問から、"What do you think about the relationship between China and Japan?"という突っ込んだ質問まで、大変楽しい時間であった。二番目の質問に関してはこれからもきっと聞かれる事があるはずだが、色々な意味で返答に気をつけなければならない。自分の立場は取りつつ、それを押しつけず、相手を尊重しながら、政治に配慮する。この辺りが、予想されていた難しさだ。

ともかく、この2コマでなんとなく教室の雰囲気と設備が掴めたので、授業準備が捗る。授業中、特に初回の授業はとかくハプニングの嵐である。びっくりしないように色々想像しておくのはとても大切で、そのためにはなるべく多くの情報が必要だ。

・・・二日目以降、日常生活で特筆すべきはこの位なのだが、加えて今一番悩んでいる事を書かねば気が済まない。


三日目くらいで確信した。





金が無い。





言い訳をしよう。

これにはいくつかの要因が重なる。
そもそも軍資金が足りなかった。3ヶ月前まで学生で、学費を払っていた身分である。しかも9月から働き始めるのを1ヶ月延ばされたのだから、金などもともとなかった。
生活費についての情報が足りなかったのもまずかった。一体初期投資にいくらかかるのか、未知数だったのだ。しかもやはりというか、なんというか、「インターネット200元です」とか、「今の写真50元です」とか、突発的に言われるので毎日がスリリングである。
これに予想外の物価が加わる。「中国だから」と甘くみていたが、モノによっては日本と同程度の物価だった。油断していた。
さらにクレジットカードの不便さ。銀聯(Union Pay)以外を使えるところが皆無である。そもそも使えた所で微々たる貯金しか無いのだが、カード払いも考えてこっちに来たので、それが無くなったのは辛い。

計算すると、給料日まで一日120円ほどで生活しなければならなかった。ていうか、ならない。今。

僕は基本的に金と縁が無い人間なので、こういうことはよくある。学部生の頃、主に米と塩で生活していた事もある(当時のエピソードは前ブログの『追憶』をどうぞ)。
が、よもや働き始めてまたこうなるとは。貧乏の経験とは貴重である(そこか)。

そんなわけで、まさに生活必需品だけを揃え、あとは我慢することにしている。

食は当然米を基本にして・・・と思った所で誤算が生じた。



・・・米がまずい。


しまった。白米に塩をかければという発想は、米が美味くて初めて成り立つのだった・・・。しかも5キロ買い・・・。なるべくなじみ深い形の米を選んだつもりなのだが・・・なんだろう、このパサパサした食感と、ほんのりと香る形容しがたい甘い臭い・・・石けんのような・・・。とにかくそのままでは食べられない。試行錯誤の末、たどり着いたのはチャーハン。卵チャーハンにすれば意外といけるし、栄養もそこそこのはずだ。

まずい事は重なるもので、10月1日から中国は国民の休日である。1週間
金が無い、仕事も始まっていない人間にとってこれが何を意味するかおわかりだろうか。若き青年が朝起きて卵チャーハンを食べ、卵チャーハンを食べて夜寝るのだ。一週間。


暇。


確かに授業準備はある、が、修士を取った上、7日間168時間で初回の授業準備が終わらないようなら絶対この職業に向いていない。ブログでも書いてなければやってられないのだ。酒でも飲みたいが当然金は無い。
しかし人間は意外としぶとい。外を見てはどういう虫がいるかとか、今日は黒光り扁平虫が出ているかとか、壁のあそこにシミがあるからどうしようとか考えて楽しんで、あとはもっぱらインターネットでなんとかなるする。

そんな生活もあと3日。授業が始まれば少しは気が紛れるだろう。

と、こんな感じで、中国編(序)を閉じたいと思う。
総括すれば、「金は無いけど楽しんでます」という事だ。3日後に仕事が始まる事を、本当に楽しみにしている。笑



2014年10月1日水曜日

中国編ー序(一)

なんだかんだありながらも(詳細は前ブログのこちらを参照)、2014年9月25日、霧がかった中国某所で、大学での英語講師という僕の新たなキャリアが始まった。当初はブログを書くか書くまいか迷っていたのだが、到着して5日ですでにネタの宝庫である。この新鮮な驚きと感動と孤独が色あせぬうちに書き留めておかねばと思い、パソコンに向かうことにしたわけだ。
では、中国編-序(一)をどうぞ。

=====
9月25日午後5時、空港着。
空港に上司のTeaching Assistantが迎えに来ていると言われていたので、僕は意気揚々と巨大なスーツケースを転がし、出迎えのネームプレートを探した。


・・・



・・・


なんと、

あった。
なんということだ。あった。
無いと言うことくらいは想定内だったが、あった。嬉々として、その随分年老いた(失礼)おっちゃんTAに英語で話しかける。



・・・




・・・

あれ?

通じない。しかもなんか中国語で話しかけられている。おかしい。仮にも英語講師を迎えに来るTAが英語を話せない訳が無い。ていうかめっちゃ中国語で話しかけられる。分からない。

とにかく身振り手振りで意思疎通を図り駐車場まで行くと、そこはタクシー乗り場。しかもこのおっちゃんがまさかのドライバーである。これは僕が自分の名前を間違えているのか、あるいは実はまだこれが壮大な嘘っぱちの続きで(前ブログ参照)、このまま目隠しされて海辺の倉庫に連れて行かれた挙げ句、日本政府に身代金を要求されて全国放送になってしまい、帰ったら空港で記者会見して謝罪しなければならない感じのアレだろうか。母ちゃんごめん。

不安に身を投じたまま車が走り出してすぐ、おっちゃんの携帯がけたたましく歌い出す。インドポップを彷彿とさせる、妙に音階の高低が激しい歌である。
おっちゃんが一言二言話し、僕に携帯を渡す。大学のコーディネーター(を名乗る人物)からだった。

"Sorry, we had a kind of emergency here and our TA couldn't go to the airport, so we arranged the driver instead"


えーと・・・

許す。


いいよいいよ。こうして連絡くれたのだから・・・!(泣)言葉が通じるって素敵・・・!
尚、おっちゃんはこの辺りで僕が中国語を話せないと悟ったらしく、ついに黙り込んだ。


沈黙に沈んだ車が走ること2時間、ついに広大なキャンパスらしき場所へ入り込むと、おっちゃん今度は道行く人に何かを尋ねている。尋ねては走る。走っては止まる。止まっては尋ねてまた走り出す。

これは言葉が分からなくても分かる。


迷子になった人間の最終手段だ。



ここからさらに30分ほど、黙り込んだジャパニーズと道に迷ったチャイニーズの珍道中が続く。まぁ、おっちゃんは道を尋ねては車を走らせ、僕は車が止まる度に窓から侵略してくる蚊と対決していただけだが。

30分後、また車が止まり、おっちゃんが車外へ出て、中国人青年と共に帰ってきた。

"Hello! Sorry for the mess..."と話しかけてくれたその青年こそ、待ちわびていたTAだった。うわーん。やっと言葉が通じるよう。


TAと「飛行機はどうでしたか?」なんてありきたりな会話をしながら、タクシーで今度は教師用の寮まで移動。寮って言うか、まさかの家具家電ゲストルーム付きのアパートである。しかも費用は大学持ち。
良いのか・・・修士取りたての若造がこんな部屋に・・・。

管理人は速攻僕に中国語で話しかける。分からないって。
TA曰く、「中国人では無いのか?」と聞き、次に「大変若く見えるのに、大学の先生なのか」と驚き、最後に「日本語ではなく英語の先生である」という事にさらに驚いた、との事だ。




諸君、この会話を以降、例の会話と呼ばせて欲しい。


部屋に移動し、カーテンを開けると巨大な蛾がお出迎え。管理人曰く「自然が豊かな証拠よ」とのことでそれは結構なのだが、そういうのは外に限って欲しい。
TAと立ち話をしていると、上司と、先ほど電話で話したコーディネーターの計4人が部屋に訪ねてきた。その内一人は、僕と面接をした人物だ。自己紹介をし、多分これで詐欺では無いという事が確定した。皆本当に優しい人たちで、温かく迎え入れてくれた。
そして温かさもさることながら、僕は言葉が通じるありがたさに感謝していた。

わずかな会話の後、TAと近くのスーパーまでタクシーで移動して当座必要なものを買いそろえる事に。時刻は午後7時だが、不思議と疲れてはいなかった。
タクシーに乗ると、TAとドライバーが何かを話している。TA曰く、まず「中国人では無いのか」と聞き・・・おっと。

「例の会話」である。



500元(1万円)ほどの大きな買い物を終え、アパートに一度戻ってからTAと晩飯を食べに行くことに(帰りのタクシーにおける会話はご想像の通りである)。近くの大衆食堂でワンタンを頂く。おぉ、なんだか中国にいるっぽいぞ!ワンタン15個が入った大盛りを頂いて17元。340円。ちなみにこれで高い方である。
それにしても、ううむ、美味い!

おや、TAと店員が何かを話している。TA曰く・・・もういいか。


大盛り17元の餃子。大変美味。


食事を終え、アパートに戻り、TAにお礼を言って別れる。
さて今日は長い一日だった・・・。

寝るか、と寝室のカーテンを閉めると、


蛾。

お前まだいたのか。しかも二匹になってるし。

彼らを光の方へ誘って追い出すも、この夜、夜中に目を覚ますと床にゲジゲジ君が這っており、キッチンではすでに全世界からの嫌われ者、例の黒光り扁平虫が二名夜間巡回を行っていた。


・・・これは必ずしも自然が豊かというだけではないのでは・・・と当たり前の疑念を抱きつつ、一日目の夜は更けていく。



続く