2015年2月1日日曜日

続・悔しさと、厳しさと。

3週間前に生徒の成績を大学に提出し、2週間前から日本に一時帰国している。
本当にあっという間の一学期だった。入居初日から黒光り扁平虫に出くわした事から始まり、金が無かったことやらことばの問題やらGoogle/YouTubeなしで授業準備する事やら、、、色々有った。

それでもどうにかこうにかやってきて、生徒の反応は上々だし、言葉は分からないけど街の人は優しいし、同僚も(そりゃ色々あるけど)悪くはない。上司も理解のある人たちだからとても助かっている。職場環境や住環境に文句をつけようとすればたくさん出てくるのだけれど(eg.「明後日ミーティングします!」とか、「来週休講になります」とか、突然の連絡は日常茶飯事だし、学部と大学で言っていることが違うなんてザラ。天候によってはスモッグもひどい。レストランの食事やインスタント食品に虫が混入することも大変よくある)、そこは外国に居るのだからご愛嬌。それなりに楽しんでやっている。

けれど、やはりストレスはたまっていたらしい。油ギトギトの中華料理を朝から晩まで食べて、6キロ痩せていた。笑



2012年、ハワイに初めて行ったとき、最初の長期休暇がたまらなく恋しかった(その時の雑感はこの記事にちらっと)。ことばが分からなくて、発言も出来なくて、友達も少なくて、日常生活にも困って・・・とにかく悔しくて恥ずかしくて情けなくて。それを言える友達もいなかったし、プライドが有って言いたくも無かった。
最初の休暇で日本に帰ったとき、「これは敗走だ」と密かに思った。第一学期は何も出来ず、何も分からず、ただおめおめと日本に逃げ帰っただけだった -- そう思ったし、実際そうだった。


今、再びそれを経験している。

第一学期は、結局「敗北」だと思う。

確かにそれなりに楽しかった -- でもそれは「色々あったけど総括してみれば楽しかった」という話で、細かく見れば悔しかったことや歯がゆいことや緊張したことの方が圧倒的に多かった。

初めての授業に緊張した。
中国で日本人が英語を教えるという事が不安だった。
中国語が分からなくて生活が不安だった。
生徒が何を言っているのか分からなくて不安だった。怖かった。
中国の生徒とどう接すれば良いのか分からなくて不安だった。
生徒からキツい--至極真っ当な意見から人種的な事まで含めて--事を言われて凹んだ。悲しかった。
自分の英語力に絶望した。

第一学期最後の1ヶ月は、辛かった。生徒に申し訳ないと思った。

殊に自分の英語力には唖然とした。いかに「間違えるのも教師の仕事」とは言え、余りに知らない事が多すぎて、余りに自分の英語が下手くそ過ぎて、もう悔しいのなんの。笑っちゃって見ていられない位だった。


日本に敗走し、大分中国という環境から肉体的にも精神的にも離れて、僕は今初めて、その敗北を冷静に眺めながら「一流になりたい」と強く思っている。そしてその願いは今までの単なる「願い」から形を変えて、「一流になるのだ」という誓いになった。ここまで強いモチベーションを持ったのは、多分人生で初めての事だと思う。
第一学期はすごく悔しくて辛かったけど(そして第二学期も辛くなるだろうけど)この悔しさと辛さは肥やしだ。この4ヶ月は、「ハワイのSLSで修士を取ったぞ」と浮かれていた僕の頬を思い切り引っぱたいてくれた。僕にとって悔しさは、一番の起爆剤だ。

どこで誰を教えても、学習者はもちろん自分が納得できる英語教育者になる。
ここで現実から目を背けたら、多分一生(自分も生徒も)騙しながらの人生になる。悔しい思いはもうしたくない。

僕はまだ「ただの英語の先生」だ。
まずそれを認めて、そして、一流になる。

2014年12月23日火曜日

Of course there're ups and downs

あれ?変だな。3週間も経ってる・・・?

早いもので第一学期ももうすぐ終わる。
今週の金曜から来週にかけて期末試験なので、今週の授業では授業評価をしてもらっている。オンラインの評価シートを自分で作って、リンクを張り、「良かったら評価してね!」と言って教室を出る。

現在まで61人が評価をしてくれて、その87%5段階評価で5を、11%4をつけてくれている。ちなみに一人が3をつけて、1と2をつけた人は一人も居ない。
自由記述欄は“You’re an excellent teacher!” “hope you can teach us next semester as well!” “Awesome!”と言った文字で埋まる。
勿論こういうのは、教師にとって最も嬉しい瞬間の一つだ。


同時に、「どこを改善したら良いか?」という質問に対しては出るわ出るわ改善点の嵐。特に今日評価してもらった2クラス。
この2クラスはセメスター中、割と反応が良いクラスだったので、はっきり言って大分、かなり、ものすごくショックだった。98%の高評価なんて吹っ飛ぶくらいショックで、5時間前に結果を見て以来、ずっと打ちのめされていた。留学中のブログにもちょっと書いたけど、僕はこういうとき本当に打ちのめされる。折れないけど、しおれる。

無論彼らは善意で答えてくれているし、そもそもそういった答えを望んだのは僕だ。



ただ、精神的にかなりショック。





それで、ずーっと打ちのめされていて、
改善点を20連発くらい放たれて、
しょぼくれて、
「もう今日は仕事の事考えない」と思って、
ビールを開けて、
もう一度結果を見たら一つ結果が増えていて、
「今度はどんな改善点だよ」と思って、
見たら(匿名の授業評価に)名前付きでいかに僕と僕の授業が好きかを書いてくれた子がいて、
一気に元気になって今ブログを書いている。笑

教師なんていや僕なんて単純な生き物だ。


=======
ハワイでクラスメートだった日本人で、今アメリカで英語を教えている人が居る。
歳は3つ位しか違わないけど、僕が世界で一番尊敬している先生の一人で世界で一番愛されている先生の一人だと思うし、世界で一番先生に向いている先生の一人だと思う人だ。

今年仕事を始めたばかりの時に、彼女にメッセージを送った事がある。経験豊富な彼女にアドバイスをもらうためと、近況を聞くためだ。
その時彼女が、“of course there’re ups and downs, but I’ve been enjoying teaching here…”と書いていた。

“of course there’re ups and downs.”

世界で一番尊敬している先生が言った一言。
いつも笑顔で、英語の楽しさを伝える彼女が言った一言。
「そうか、あの人でもあるんだよな、ups and downs」と思って、すごく救われたのを覚えている。
このセメスター、良いことも悪いこともたくさんあって、今この瞬間もものすごくしょげているのだけれど、これも成長への一歩。

今日の失敗は、明日の生徒のために。



2014年11月30日日曜日

中国編-第一章の始まり-

一月半ぶりの更新。言っておくがこれは僕にとって良いことである。経験上、FacebookTwitterやブログの更新頻度が高いと言うことは、精神衛生上あまりよろしくない時(=現実逃避)だからだ。便りの無いのはなんとやら、である(自己防衛)。給料も入って、僕の生活は人並みにほくほくしている。


さて、108日から授業が始まり、一月半。思った通り、時間は矢のように過ぎた。

これまで頼ってきたGoogle, YouTube, そしてDropboxまでもが使えないこの国で、12のクラスに在籍する400人近い生徒をまとめるのは大変だ。授業が始まって2週間ほどは、リソースの調査とテクノロジーの試行錯誤に時間を取られ、授業準備にあまり時間を割くことが出来なかった。
おまけに中国のオフィスはかなり適当(いや、柔軟と言おうか)なので、そもそも大学側が生徒の連絡先を把握していない。従って当然メーリングリストのような機能も存在しないので、生徒への連絡だけでえらい騒ぎである。加えて、「明後日ミーティングします」と、まるで大学のサークル並みの突発的な連絡が(頻繁に)来たりもする。まあ人間というのは恐ろしいもので、2週間も経つと大体慣れるし、「この国でのやり方」を学習する。そうしなければ仕事にならないのだから当たり前だが。


108日。およそ5年ぶりに教壇に立ち、授業を始める。5年前は日本の塾で中学生を相手にしていたが、今度の舞台は中国、相手は大学生。

「日本人です」

という一言に対する反応は、一様に「おぉー」という低い声の驚きと歓声だった。で、めっちゃ写真撮られた(Westernersはもっとすごかったらしいが)。「ノンネイティブが英語を教える」という事に対する反応は悪くなく、みな温かく、僕を「先生」として迎えてくれているようだった。多くの生徒がアニメや漫画の影響で「日本が好きです!」「日本語を教えて下さい!」と自己紹介をしてくれた。尾田栄一郎先生、井上雄彦先生、岸本斉史先生とピカチュウに感謝。

同僚とも話していたが、ここに居ると「まるで自分がスーパースターになったような気分」になる。生徒の反応は日本の大学生の100倍くらい良いし、外国人というだけでかなりチヤホヤされるし、前述の通り写真も撮られる。これは大学の外でも同じで、外食をすると通りに面した席に案内されて広告塔として使われたりする。
悪くはない感覚。笑

ただ、無論、生徒の反応と僕が彼らに与える成績は無関係である。僕のクラスではどっさり宿題を出してテストをするし、締め切りに間に合わなかったら問答無用で切り捨てる。現在まで3人が泣くか、半泣きになった。笑 それでも生徒は僕の事を好いてくれているようで、無断で僕のクラスに紛れ込むモグリの生徒も複数名居る(僕は気にしない)。笑
ちなみに、「どっさり宿題」は中国では普通だ。ここは科挙の国。彼らは朝830分から夜10時近くまで授業があって、その全ての授業で「どっさり」宿題が出て、土日にはテストがある。それに加えてクラブ活動に参加するので、暇が無い。
・・・しかしそれは僕のクラスで宿題を出さないという言い訳にはならないので、僕もどっさり宿題を出す。「ごめんね!あと、来週テストあるからね!てへ!」と笑いながら、どっさり出す。ごめんねみんな。


さて、書き始めたら取り留めなくなってきたので、とりあえずこの辺りで筆を置く。そもそも異国における一月半の生活を、一回の投稿で纏めるのは大変困難なのだ(防衛)


総括。

授業が始まって一月半、およそ400の生徒から送られてくる「名無し、件名無し、添付ファイルのみ」のメールや、「来週の宿題はなんですか?」「先生のオフィスはどこですか?」というsillyな質問に答えたり無視をしたりしながら、僕の生活は順調に進んでいる。


・・・日曜日は暇があるので、頑張って週一回以上の更新を目指します。



2014年10月5日日曜日

中国編-序(二)

二日目以降は、生活必需品を揃える旅と、事務手続きが続いた。携帯、インターネット、ビザ、居住登録等々・・・。
携帯ショップに行っても、インターネット会社に行っても、レストランでも、その道中でも、とりあえず「例の会話」が繰り広げられる。中国人っぽい人間が二人、英語で話しているのが珍しいのだろう。TAが言うに、「彼らは別に差別をしているわけではないのです。ただ、本当に、すごく珍しがっています。Western lookの他の先生なんて、写真撮られてましたよ」だそうだ。

これを書いている時点でこちらに来て1週間経つのだが、確かに外国人は多くない。今のところ、外国人の99パーセントはうちの大学の先生と思って良いくらいだ。インドでバックパッカーをしていた時も、外国人慣れしていない人々は旅人を見るだけで寄ってきたものだが、似たようなものか。
とすると、日本ではどうだろうか?・・・と文化差に思いをはせずにはいられない。あるいはそのような些細な文化差に、来たるべき日本の「グローバル化」に対するヒントが隠れているかもしれないのだ。

話を一週間前に戻そう。
2日目はTAに連れられて携帯・インターネットを契約した後、ベテランの先生の授業を見学しに行った。生徒数はおよそ20人程度。45分×4コマという長ぁい授業だった(ので最初の2コマだけ見て帰った)。
授業中、先生に面白い話を伺った。
まず、この教室の生徒は全校50,000を超える生徒から選ばれた数十人である、ということ。いわゆるエリート中のエリートで、"true genius"と言っていた。日本の大学では聞いたことも無かった、「エリート教育」。英語のレベルもかなり高度で、たどたどしいが英語による意思疎通は問題なく出来るレベルだった。彼らが、将来文字通り国を背負って立つ人間になるのだろう。
また、この日彼らは大変自発的かつ活発に発言していたが、それは最初の頃は想像も出来なかったということ。この日の授業は5人ずつで机をサークル状にしてグループディスカッションをしていたのだが、授業初日はきちんと列に並べられた席に座り、発言は挙手をし、トイレにいくのも先生の許可を取るのが当たり前だったという。中国でエリート街道を歩んできた子どもたちだから、当然だろう。"You'll face that, too"と言われてしまった。活発なインプット/アウトプット無くして外国語の習得は不可能だから、「言われたことを素直に聞いて実行する」という環境をどう「壊す」か、これは日本で英語を教えていたときからいつも考えている事だ。

授業の終盤には先生の計らいで、生徒から質問を受け付ける。"Where're you from?"という何気ない質問から、"What do you think about the relationship between China and Japan?"という突っ込んだ質問まで、大変楽しい時間であった。二番目の質問に関してはこれからもきっと聞かれる事があるはずだが、色々な意味で返答に気をつけなければならない。自分の立場は取りつつ、それを押しつけず、相手を尊重しながら、政治に配慮する。この辺りが、予想されていた難しさだ。

ともかく、この2コマでなんとなく教室の雰囲気と設備が掴めたので、授業準備が捗る。授業中、特に初回の授業はとかくハプニングの嵐である。びっくりしないように色々想像しておくのはとても大切で、そのためにはなるべく多くの情報が必要だ。

・・・二日目以降、日常生活で特筆すべきはこの位なのだが、加えて今一番悩んでいる事を書かねば気が済まない。


三日目くらいで確信した。





金が無い。





言い訳をしよう。

これにはいくつかの要因が重なる。
そもそも軍資金が足りなかった。3ヶ月前まで学生で、学費を払っていた身分である。しかも9月から働き始めるのを1ヶ月延ばされたのだから、金などもともとなかった。
生活費についての情報が足りなかったのもまずかった。一体初期投資にいくらかかるのか、未知数だったのだ。しかもやはりというか、なんというか、「インターネット200元です」とか、「今の写真50元です」とか、突発的に言われるので毎日がスリリングである。
これに予想外の物価が加わる。「中国だから」と甘くみていたが、モノによっては日本と同程度の物価だった。油断していた。
さらにクレジットカードの不便さ。銀聯(Union Pay)以外を使えるところが皆無である。そもそも使えた所で微々たる貯金しか無いのだが、カード払いも考えてこっちに来たので、それが無くなったのは辛い。

計算すると、給料日まで一日120円ほどで生活しなければならなかった。ていうか、ならない。今。

僕は基本的に金と縁が無い人間なので、こういうことはよくある。学部生の頃、主に米と塩で生活していた事もある(当時のエピソードは前ブログの『追憶』をどうぞ)。
が、よもや働き始めてまたこうなるとは。貧乏の経験とは貴重である(そこか)。

そんなわけで、まさに生活必需品だけを揃え、あとは我慢することにしている。

食は当然米を基本にして・・・と思った所で誤算が生じた。



・・・米がまずい。


しまった。白米に塩をかければという発想は、米が美味くて初めて成り立つのだった・・・。しかも5キロ買い・・・。なるべくなじみ深い形の米を選んだつもりなのだが・・・なんだろう、このパサパサした食感と、ほんのりと香る形容しがたい甘い臭い・・・石けんのような・・・。とにかくそのままでは食べられない。試行錯誤の末、たどり着いたのはチャーハン。卵チャーハンにすれば意外といけるし、栄養もそこそこのはずだ。

まずい事は重なるもので、10月1日から中国は国民の休日である。1週間
金が無い、仕事も始まっていない人間にとってこれが何を意味するかおわかりだろうか。若き青年が朝起きて卵チャーハンを食べ、卵チャーハンを食べて夜寝るのだ。一週間。


暇。


確かに授業準備はある、が、修士を取った上、7日間168時間で初回の授業準備が終わらないようなら絶対この職業に向いていない。ブログでも書いてなければやってられないのだ。酒でも飲みたいが当然金は無い。
しかし人間は意外としぶとい。外を見てはどういう虫がいるかとか、今日は黒光り扁平虫が出ているかとか、壁のあそこにシミがあるからどうしようとか考えて楽しんで、あとはもっぱらインターネットでなんとかなるする。

そんな生活もあと3日。授業が始まれば少しは気が紛れるだろう。

と、こんな感じで、中国編(序)を閉じたいと思う。
総括すれば、「金は無いけど楽しんでます」という事だ。3日後に仕事が始まる事を、本当に楽しみにしている。笑



2014年10月1日水曜日

中国編ー序(一)

なんだかんだありながらも(詳細は前ブログのこちらを参照)、2014年9月25日、霧がかった中国某所で、大学での英語講師という僕の新たなキャリアが始まった。当初はブログを書くか書くまいか迷っていたのだが、到着して5日ですでにネタの宝庫である。この新鮮な驚きと感動と孤独が色あせぬうちに書き留めておかねばと思い、パソコンに向かうことにしたわけだ。
では、中国編-序(一)をどうぞ。

=====
9月25日午後5時、空港着。
空港に上司のTeaching Assistantが迎えに来ていると言われていたので、僕は意気揚々と巨大なスーツケースを転がし、出迎えのネームプレートを探した。


・・・



・・・


なんと、

あった。
なんということだ。あった。
無いと言うことくらいは想定内だったが、あった。嬉々として、その随分年老いた(失礼)おっちゃんTAに英語で話しかける。



・・・




・・・

あれ?

通じない。しかもなんか中国語で話しかけられている。おかしい。仮にも英語講師を迎えに来るTAが英語を話せない訳が無い。ていうかめっちゃ中国語で話しかけられる。分からない。

とにかく身振り手振りで意思疎通を図り駐車場まで行くと、そこはタクシー乗り場。しかもこのおっちゃんがまさかのドライバーである。これは僕が自分の名前を間違えているのか、あるいは実はまだこれが壮大な嘘っぱちの続きで(前ブログ参照)、このまま目隠しされて海辺の倉庫に連れて行かれた挙げ句、日本政府に身代金を要求されて全国放送になってしまい、帰ったら空港で記者会見して謝罪しなければならない感じのアレだろうか。母ちゃんごめん。

不安に身を投じたまま車が走り出してすぐ、おっちゃんの携帯がけたたましく歌い出す。インドポップを彷彿とさせる、妙に音階の高低が激しい歌である。
おっちゃんが一言二言話し、僕に携帯を渡す。大学のコーディネーター(を名乗る人物)からだった。

"Sorry, we had a kind of emergency here and our TA couldn't go to the airport, so we arranged the driver instead"


えーと・・・

許す。


いいよいいよ。こうして連絡くれたのだから・・・!(泣)言葉が通じるって素敵・・・!
尚、おっちゃんはこの辺りで僕が中国語を話せないと悟ったらしく、ついに黙り込んだ。


沈黙に沈んだ車が走ること2時間、ついに広大なキャンパスらしき場所へ入り込むと、おっちゃん今度は道行く人に何かを尋ねている。尋ねては走る。走っては止まる。止まっては尋ねてまた走り出す。

これは言葉が分からなくても分かる。


迷子になった人間の最終手段だ。



ここからさらに30分ほど、黙り込んだジャパニーズと道に迷ったチャイニーズの珍道中が続く。まぁ、おっちゃんは道を尋ねては車を走らせ、僕は車が止まる度に窓から侵略してくる蚊と対決していただけだが。

30分後、また車が止まり、おっちゃんが車外へ出て、中国人青年と共に帰ってきた。

"Hello! Sorry for the mess..."と話しかけてくれたその青年こそ、待ちわびていたTAだった。うわーん。やっと言葉が通じるよう。


TAと「飛行機はどうでしたか?」なんてありきたりな会話をしながら、タクシーで今度は教師用の寮まで移動。寮って言うか、まさかの家具家電ゲストルーム付きのアパートである。しかも費用は大学持ち。
良いのか・・・修士取りたての若造がこんな部屋に・・・。

管理人は速攻僕に中国語で話しかける。分からないって。
TA曰く、「中国人では無いのか?」と聞き、次に「大変若く見えるのに、大学の先生なのか」と驚き、最後に「日本語ではなく英語の先生である」という事にさらに驚いた、との事だ。




諸君、この会話を以降、例の会話と呼ばせて欲しい。


部屋に移動し、カーテンを開けると巨大な蛾がお出迎え。管理人曰く「自然が豊かな証拠よ」とのことでそれは結構なのだが、そういうのは外に限って欲しい。
TAと立ち話をしていると、上司と、先ほど電話で話したコーディネーターの計4人が部屋に訪ねてきた。その内一人は、僕と面接をした人物だ。自己紹介をし、多分これで詐欺では無いという事が確定した。皆本当に優しい人たちで、温かく迎え入れてくれた。
そして温かさもさることながら、僕は言葉が通じるありがたさに感謝していた。

わずかな会話の後、TAと近くのスーパーまでタクシーで移動して当座必要なものを買いそろえる事に。時刻は午後7時だが、不思議と疲れてはいなかった。
タクシーに乗ると、TAとドライバーが何かを話している。TA曰く、まず「中国人では無いのか」と聞き・・・おっと。

「例の会話」である。



500元(1万円)ほどの大きな買い物を終え、アパートに一度戻ってからTAと晩飯を食べに行くことに(帰りのタクシーにおける会話はご想像の通りである)。近くの大衆食堂でワンタンを頂く。おぉ、なんだか中国にいるっぽいぞ!ワンタン15個が入った大盛りを頂いて17元。340円。ちなみにこれで高い方である。
それにしても、ううむ、美味い!

おや、TAと店員が何かを話している。TA曰く・・・もういいか。


大盛り17元の餃子。大変美味。


食事を終え、アパートに戻り、TAにお礼を言って別れる。
さて今日は長い一日だった・・・。

寝るか、と寝室のカーテンを閉めると、


蛾。

お前まだいたのか。しかも二匹になってるし。

彼らを光の方へ誘って追い出すも、この夜、夜中に目を覚ますと床にゲジゲジ君が這っており、キッチンではすでに全世界からの嫌われ者、例の黒光り扁平虫が二名夜間巡回を行っていた。


・・・これは必ずしも自然が豊かというだけではないのでは・・・と当たり前の疑念を抱きつつ、一日目の夜は更けていく。



続く